加熱偏向報道には辟易します。26年前の川西市の伊藤市長の退陣騒動や16年前の大教大附属の
事件では取材される側の視点で殺到する報道カメラやタクシーで乗り付ける記者に恐怖を抱きました。
21年前の阪神大震災では各メディヤが同じ映像と記事で埋めつくされ私の住む川西と宝塚西部の
深刻な被害は全く報道されなかったのにあきれました。
報道の基本的な使命である客観性公平性と良識が完全に欠如しているという現実を目の当たりにし、
さらに福島原発事故の真実を隠す不適切な報道姿勢にあきれ果て視聴は止めたままです。
報道の堕落の最大の原因は社会的使命を捨て視聴率に連動した経営優先体質にあり、今は原点
回帰か、廃業の二者択一か在るのみです。
以下は健全な報道のあり方を棄てて独善に走る不遜な報道の退廃ぶりを糾弾する
ネットニュースです。
津田大介 災害報道批判に苦言「役割を再定義する必要がある」〈週刊朝日〉
dot. 5月11日(水)7時0分配信

ウェブを使った新しいジャーナリズムの実践者として知られる、ジャーナリストでメディア・アクティビストの津田大介氏。熊本地震の災害報道バッシングで見えたこととは。
* * *
熊本地震を巡る報道――とりわけテレビの災害報道や現地の取材者に対するネットからのバッシングが止まらない。
批判されるのには相応の理由がある。関西テレビは4月18日、熊本で取材中だった同社の中継車がガソリンスタンド付近で給油待ちをしていた車の列に割り込んで給油したことを謝罪した。同日、毎日放送の山中真アナウンサーも自身のツイッターに謝罪ツイートを投稿。こちらは2度目の震度7の地震直後だった16日に取材用弁当の写真を投稿したことに対し、現地の食料事情を考慮しない配慮に欠けたツイートであると非難が殺到したからである。
21日にはTBSのニュース番組「Nスタ」のリポーターが今回の地震で多大な被害を受けた熊本県益城町の避難所前で生中継していたところ、被災者と見られる男性から「見せ物じゃねえ、どっか行け!」と詰め寄られ、スタジオに切り替わる一幕があった。ネットではクレームを入れた男性に対する喝采の声が並び、ここぞとばかりに被災地のマスメディアの取材姿勢を責め立てた。
こうした背景には、画像や動画を簡単に撮影し、ネットに投稿できるSNSの爆発的な普及がある。これまでは被災地の現場で当たり前のように“許されていた”取材が、当事者たちから晒され、感情が伝播しやすいSNSで拡散することで部外者や、やじ馬も巻き込み、マスメディアに対する怒りが増幅していくのだ。
東日本大震災の時よりその傾向が顕著になっているように見えるのは情報環境の変化も大きい。震災があった11年3月時点で日本のスマホ契約台数は約1千万台だったが、現在の数字は約7千万台。ツイッターの日本国内アクティブユーザー数も、月間670万人から3500万人まで増えた。この5年間で一般市民の情報発信力は大幅に増したのである。「被災地報道は当事者から常に“監視”される」という意識を取材する側も持たなければ、こうしたトラブルが絶えることはないだろう。
阪神・淡路大震災の際、報道ヘリの騒音が救出活動を妨げ、批判が多く出たことを受け、この20年でヘリ報道のやり方も変わった。現在はヘリが低い高度で飛ぶことはなく、高い高度から超望遠レンズで撮影するようになり、報道各社で協定を結んで飛ぶ台数なども調整している。
被災者にとってマスメディアが無神経な邪魔者に見えるのは当然だが、空撮や現場報道がなければ国民が被害の全容を知ることはできない。いち早く被害の全容を調べ、対策を打つ必要がある官邸にとっても報道は重要な情報源である。伝えることをしなければ救済も進まない。
メディアに今求められているのは、情報環境の変化を自覚し、当事者と丁寧にコミュニケーションをとったうえで「伝えるべきことは伝える」と腹をくくることだ。それぞれのメディアが災害報道の役割とは何か、原点に立ち返って再定義する必要がある。
※週刊朝日 2016年5月20日号
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熊本地震を巡る報道――とりわけテレビの災害報道や現地の取材者に対するネットからのバッシングが止まらない。
批判されるのには相応の理由がある。関西テレビは4月18日、熊本で取材中だった同社の中継車がガソリンスタンド付近で給油待ちをしていた車の列に割り込んで給油したことを謝罪した。同日、毎日放送の山中真アナウンサーも自身のツイッターに謝罪ツイートを投稿。こちらは2度目の震度7の地震直後だった16日に取材用弁当の写真を投稿したことに対し、現地の食料事情を考慮しない配慮に欠けたツイートであると非難が殺到したからである。
21日にはTBSのニュース番組「Nスタ」のリポーターが今回の地震で多大な被害を受けた熊本県益城町の避難所前で生中継していたところ、被災者と見られる男性から「見せ物じゃねえ、どっか行け!」と詰め寄られ、スタジオに切り替わる一幕があった。ネットではクレームを入れた男性に対する喝采の声が並び、ここぞとばかりに被災地のマスメディアの取材姿勢を責め立てた。
こうした背景には、画像や動画を簡単に撮影し、ネットに投稿できるSNSの爆発的な普及がある。これまでは被災地の現場で当たり前のように“許されていた”取材が、当事者たちから晒され、感情が伝播しやすいSNSで拡散することで部外者や、やじ馬も巻き込み、マスメディアに対する怒りが増幅していくのだ。
東日本大震災の時よりその傾向が顕著になっているように見えるのは情報環境の変化も大きい。震災があった11年3月時点で日本のスマホ契約台数は約1千万台だったが、現在の数字は約7千万台。ツイッターの日本国内アクティブユーザー数も、月間670万人から3500万人まで増えた。この5年間で一般市民の情報発信力は大幅に増したのである。「被災地報道は当事者から常に“監視”される」という意識を取材する側も持たなければ、こうしたトラブルが絶えることはないだろう。
阪神・淡路大震災の際、報道ヘリの騒音が救出活動を妨げ、批判が多く出たことを受け、この20年でヘリ報道のやり方も変わった。現在はヘリが低い高度で飛ぶことはなく、高い高度から超望遠レンズで撮影するようになり、報道各社で協定を結んで飛ぶ台数なども調整している。
被災者にとってマスメディアが無神経な邪魔者に見えるのは当然だが、空撮や現場報道がなければ国民が被害の全容を知ることはできない。いち早く被害の全容を調べ、対策を打つ必要がある官邸にとっても報道は重要な情報源である。伝えることをしなければ救済も進まない。
メディアに今求められているのは、情報環境の変化を自覚し、当事者と丁寧にコミュニケーションをとったうえで「伝えるべきことは伝える」と腹をくくることだ。それぞれのメディアが災害報道の役割とは何か、原点に立ち返って再定義する必要がある。
※週刊朝日 2016年5月20日号
最終更新:5月11日(水)10時12分