私の少年時代の50年代には大阪市内や伊丹空港周辺に沢山の爆弾の炸裂孔(池)がありました。
そして不発弾のある場所には粗末な立て札が有りましたがいつのまにか消えていずこも宅地になって
今は人が住んでおられます。心が痛みますがいまそこに住んでおられる方に告げる勇気もありません。
下の地図は私の少年時代の自宅周囲です。円形の爆弾池が沢山有りますがわかりますか?
「地理院地図」から旧日本陸軍や米軍の撮影した戦前・戦後の空中写真の公開を開始これまで、昭和49(1974)年以降の空中写真のみを「地理院地図」から公開していましたが、このたび、昭和11(1936)年以降に、旧日本陸軍、米軍及び国土地理院が撮影した空中写真(単写真)を公開しました。 以下のリンクより閲覧することができます。問い合わせ先 〒305-0811 茨城県つくば市北郷1番 国土交通省国土地理院 地理空間情報部 (地理院地図の問い合わせ) 情報普及課長 藤村 英範 029-864-5966(直通) (空中写真の問い合わせ) 情報サービス課長 勝田 啓介 029-864-5947(直通)
もし、その場所を知りたい方が有りましたら国土地理院から終戦直後に進駐軍が空撮した日本
全国の空爆成果検証航空写真が公開されています。それでご自分の自宅周辺を見られれば
簡単に自宅周辺に不発弾が有るかどうかは判別可能だと思います。 要するに焼夷弾では
なく一トン爆弾や高性能爆弾は遅延信管が装着されておりコンクリートや鉄の様な硬い構築物に
よる衝撃を受けて初めて作動して構築物の地下や内部で爆発して被害を最大限に拡大する仕組み
であるため柔らかい普通の地面や特に水田や畑では一部は炸裂しても大半は不発弾となり
現在も地下数メートルに不発弾として残置されていることが当然なのです。
もし終戦直後の空撮画像の自宅周辺に空爆による炸裂孔があれば周囲には沢山の不発弾が
有るものと覚悟されることが必要です。
下図は爆弾が投下されたと思われる範囲です。 B29は爆弾最大積載量が9トンで当時は
1トン爆弾といわれた250㎏の高性能爆弾が搭載されましたから一機あたり36の爆弾が
投下されており下記で爆発したのは1/3と思われるので一帯にはなお20個ほどの不発弾が
有り今までに3個ほど不発弾が発見されていますがなお残置は不可避です。
信管は削岩機による直撃でも無い限り作動はしませんから心配は無用ですが、近くで開発や
高層マンションなどへの建て替えが起きたときには工事会社に一言注意喚起しておく必要があると
いう程度の危険性だと思います。私が少年期を過ごした伊丹空港東方の豊中市本町や千里園に
刀根山などでしたらいくつかの不発弾の有りそうな場所は記憶が鮮明です。以下は戦後70年を経ても
健在な不発弾の残置を警告するネットニュースです。
不発弾撤去作業 1発ですさまじい破壊力…大阪に残存の可能性指摘
産経新聞 5月9日(土)15時1分配信
第二次大戦で米軍が投下したとみられる1トン爆弾の不発弾の撤去作業が9日、大阪市浪速区で行われた。爆弾は、作業開始から、約2時間で撤去されたが、周辺の商業施設は一時休業し、南海電鉄も一部運休を余儀なくされた。避難した住民のなかには、戦時中の空襲体験を思い出した人もいた。
【写真】信管の取り外しが終わり、つり上げられる不発弾
骨組みだけになった工場、窓ガラスが全て吹き飛んだ校舎、破壊された橋…。小田康徳・大阪電気通信大名誉教授(近代日本史)が中心になって調査・編集し、「大阪国際平和センター」(大阪市中央区)が発行した大阪府内の空襲の写真集には、1トン爆弾によるものとみられる多くの被害が記録されている。
1発でもすさまじい破壊力を持ち、軍事施設の破壊などを目的に投下されたが、目標からそれた爆弾で亡くなった市民も多かった。防空壕(ごう)に直撃し、避難していた多数の人が亡くなることもあった。空襲後の市内の地面には、大きなくぼみがあちこちにできていたという。
終戦直前の昭和20年6~8月には、米軍は大阪砲兵工廠や住友金属といった軍需施設を狙い100機を超えるB29で何度も来襲した。その度に数百発の爆弾を投下しており、地中には、まだ多くの不発弾が残されている可能性がある。
大阪市によると、記録が残っている昭和30年以降、市内で不発弾が発見されるのは今回で87件目。
小田氏は「戦地で戦う兵士だけでなく、市民の上にも爆弾は落ちた。戦争がそういうものであることを改めて考えてほしい」と話している。
【写真】信管の取り外しが終わり、つり上げられる不発弾
骨組みだけになった工場、窓ガラスが全て吹き飛んだ校舎、破壊された橋…。小田康徳・大阪電気通信大名誉教授(近代日本史)が中心になって調査・編集し、「大阪国際平和センター」(大阪市中央区)が発行した大阪府内の空襲の写真集には、1トン爆弾によるものとみられる多くの被害が記録されている。
1発でもすさまじい破壊力を持ち、軍事施設の破壊などを目的に投下されたが、目標からそれた爆弾で亡くなった市民も多かった。防空壕(ごう)に直撃し、避難していた多数の人が亡くなることもあった。空襲後の市内の地面には、大きなくぼみがあちこちにできていたという。
終戦直前の昭和20年6~8月には、米軍は大阪砲兵工廠や住友金属といった軍需施設を狙い100機を超えるB29で何度も来襲した。その度に数百発の爆弾を投下しており、地中には、まだ多くの不発弾が残されている可能性がある。
大阪市によると、記録が残っている昭和30年以降、市内で不発弾が発見されるのは今回で87件目。
小田氏は「戦地で戦う兵士だけでなく、市民の上にも爆弾は落ちた。戦争がそういうものであることを改めて考えてほしい」と話している。
最終更新:5月9日(土)
各地に眠る不発弾
- 眠る不発弾、続く処理…自衛隊が年間50トン
- 読売新聞(2015年5月8日)
撤去作業は無事終了
- 大阪・難波の繁華街で不発弾撤去 南海線など一時運休
- 約70年前の大阪空襲の際に米軍が投下したものとみられ。朝日新聞デジタル(2015年5月9日)
- <不発弾>大阪市中心部で撤去作業…電車や商業施設にも影響
- 毎日新聞(2015年5月9日)
約70年前の大阪大空襲
- 大阪大空襲に関するトピックス
- 朝日新聞デジタル
- 大阪大空襲
- ウィキペディア
- 不発弾撤去、人影消えたなんば…繁華街機能停止[写真]読売新聞 2015年5月9日 18時36分
- 不発弾撤去作業 1発ですさまじい破壊力…大阪に残存の可能性指摘[写真]産経新聞 2015年5月9日 15時1分
- 息潜めるナンバ…不発弾撤去で一時封鎖 住民「空襲今も脳裏に」[写真]産経新聞 2015年5月9日 15時1分
- 大阪の繁華街、一時機能停止…不発弾の撤去終了[写真]読売新聞 2015年5月9日 12時58分
- 3月発見された不発弾の撤去作業、無事終了 大阪・ミナミ[動画]フジテレビ系(FNN) 2015年5月9日 12時26分