そうですよね。日本を実装敵国として、事実無根の反日教育を全国規模で展開し
持っている核弾頭の照準は米国ではなく私達の住む日本の無防備な大都市に合わせ
着々と莫大な予算をかけて軍拡を押し進めています。しかも、一党独裁ならまだしも
習近平氏がまもなく毛沢東依頼の首席に就任して、恐怖政治による独裁が完成するのは
時間の問題といわれています。
何が恐ろしいかというと独裁者にとって一番恐ろしいのは敵国ではなく国内の対抗成力で
いつ何どきクーデターを起こされたり、暗殺されたり、はたまたアラブの春の中国版の
国民蜂起がおきるという恐怖です。
韓国もそうでしたが大統領府の不正が発覚するたびに竹島問題や慰安婦問題を起こして
国民の矛先を燐国に向け民族意識を何時もこの手で引き起こしてかろうじて難局を越えて
きました。 その事に失敗した前パク政権はあっさりと瓦解してしまったことを見れば納得です。
さて、中国も同様でいつ何どき政府が転覆するか分からない不安定な情勢の中で、唯一の
独裁体制の温存の希望は明白です。
かねて周到に準備した尖閣問題を一気に拡大して日本と軍事衝突し、全面戦争に突入し
習近平しに向けられていた国民を不満を一気にかねてから国策反日教育でしつけた国民
感情を日本に向けさせて戒厳令を敷き、対外的には日本と衝突して、対内てきには
この期に一気に反対勢力と敵対する民衆を殺戮してしまうというのが筋書きです。
以下は、中国が着々と尖閣有事の準備をしていることを報じるネットニュースです。
北朝鮮よりも恐い隣国が、着々と「軍事強国」化を遂げている
国慶節と「軍民融合」
10月1日の日曜日、中国は建国68周年を迎えた。今年は4日の中秋節(旧盆)と重なり、14億中国人は、「夢の8連休」である。
首都・北京の国慶節(建国記念日)の朝は、天安門広場で日の出の時間に人民解放軍が行う国旗掲揚式に、「愛国的市民」10万人以上が詰めかけたというニュースから始まった。
早くも冬の訪れを告げるかのような冷空の下で、「愛国的市民」たちに、中国中央テレビのマイクが向けられる。
「習近平同志を核心とする党中央の指導の下で、まもなく『十九大』(第19回共産党大会)を迎えるため、今年の国慶節は、特に晴れやかな夢と希望に満ちています」
「愛国的市民」たちは、口々に「模範解答」をする。
そんな中国で、このところめっきり増えたのが、人民解放軍の「果敢な雄姿」を伝える軍事ニュースである。習近平主席は「軍民融合」というスローガンの下、14億国民が「空気や水のように」人民解放軍と一体化することを説いている。
9月29日からは、夜8時から10時までのゴールデンタイムに、中国中央テレビの総合チャンネル(1チャンネル)で、8回シリーズのドキュメンタリー番組『強軍』が始まった。毎夜2話ずつ放映していて、国慶節の日だけは特別番組『中国の夢 祖国の祝福』(習近平主席を称える紅白歌合戦のような番組)を放映したため、10月3日の晩まで続く。
『強軍』は、習近平中央軍事委員会主席の下、この5年間で、中国がどれほど「強軍の強国」という「中国の夢」を実現してきたかを誇示するドキュメンタリーだ。私も前半の1話から4話までを見たが、隣国の実態として「強軍の大国」の姿を把握しておくことは重要と思われるので、以下、その要旨をお伝えしよう。
首都・北京の国慶節(建国記念日)の朝は、天安門広場で日の出の時間に人民解放軍が行う国旗掲揚式に、「愛国的市民」10万人以上が詰めかけたというニュースから始まった。
早くも冬の訪れを告げるかのような冷空の下で、「愛国的市民」たちに、中国中央テレビのマイクが向けられる。
「習近平同志を核心とする党中央の指導の下で、まもなく『十九大』(第19回共産党大会)を迎えるため、今年の国慶節は、特に晴れやかな夢と希望に満ちています」
「愛国的市民」たちは、口々に「模範解答」をする。
そんな中国で、このところめっきり増えたのが、人民解放軍の「果敢な雄姿」を伝える軍事ニュースである。習近平主席は「軍民融合」というスローガンの下、14億国民が「空気や水のように」人民解放軍と一体化することを説いている。
9月29日からは、夜8時から10時までのゴールデンタイムに、中国中央テレビの総合チャンネル(1チャンネル)で、8回シリーズのドキュメンタリー番組『強軍』が始まった。毎夜2話ずつ放映していて、国慶節の日だけは特別番組『中国の夢 祖国の祝福』(習近平主席を称える紅白歌合戦のような番組)を放映したため、10月3日の晩まで続く。
『強軍』は、習近平中央軍事委員会主席の下、この5年間で、中国がどれほど「強軍の強国」という「中国の夢」を実現してきたかを誇示するドキュメンタリーだ。私も前半の1話から4話までを見たが、隣国の実態として「強軍の大国」の姿を把握しておくことは重要と思われるので、以下、その要旨をお伝えしよう。
「中国の夢は、強国の夢である」
【第1話 夢を遂げる】
2012年12月8日午前、習近平新総書記、新中央軍事委員会主席は、初の視察として、深圳の蛇口港に停泊したミサイル駆逐艦「海口」の甲板上にいた。
その二日後、習近平主席は、当時の第42集団軍の演兵場の、砲火轟鳴の中にいた。その場で習近平主席は「強国の夢」を説いた。「中国の夢」を説いてから、わずか10日後のことだった。
「中華民族の偉大なる復興という中国の夢は、強国の夢である。軍隊で言うなら、強軍の夢だ!」
約170年前、アヘン戦争によって、中国は西欧列強に痛めつけられ、そこから苦難の道を歩んだ。1860年の第2次アヘン戦争では、1.8万のイギリス軍と7000人のフランス軍が、皇帝の園庭である北京の円明園を灰塵にした。
2012年11月15日、初めて中央軍事委員会を招集した習近平主席は、「必ず国家主権を守っていく」と宣言した。
「強国のためには強軍が必須である。強軍によって初めて国は安まる。強国強軍は、中華民族の百年の夢想なのだ!」
2013年3月11日、全国自民代表大会(国会)の人民解放軍分科会で、習近平主席は説いた。
「中国共産党の指揮に従い、戦争ができて戦争に勝てる、態度の良好な人民軍隊を建設することは、共産党の新たな形勢の強軍目標に合致したものである」
2013年4月9日、習近平主席は海南島・三亜部隊を視察し、「強軍戦歌」を聞いた。兵士たちは高らかに歌う。
「将軍たちは党の指揮に従う。戦争ができて戦争に勝てる。対度良好、強敵を恐れず、敢然と、祖国の決戦勝利を目指して戦う♪」
1648年にウェストファリア条約(ヴェストファーレン条約)が締結され、近代ヨーロッパが誕生した。それは、その後のヨーロッパ中心の世界の構築を意味した。
だが400年近く経って、世界は大きく変化した。新興国家が台頭し、世界の中心はヨーロッパからアジアに移った。習近平主席は語る。
「われわれが壮大な発展を遂げると、それだけ大きな抵抗や圧力に遭う。外部との多くのリスクに直面することは、わが国が大国から強国へと発展を遂げる中で、回避できないチャレンジなのだ。それは、中華民族の偉大なる復興を実現するため、避けて通れない関所のようなものだ」
かつて南宋は、当時の世界経済の75%以上を、一国で担っていた。中国は再び、復興していくのだ。習近平主席は、「経済と国防の実力アップは、同時に進めていくものだ」と述べている。
中国は、この30年近く戦争をしていない。2014年8月29日、党中央政治局の集団学習会で、国防大学の肖天亮副学長が、世界の主要国家の軍の状況を説明した。
2015年5月26日、中国は初めて「中国の軍事戦略」白書を発布した。そこで「海軍重視」を謳っていたことが、世界の注目を浴びた。
2013年8月26日、習近平主席が、3回目の海軍視察で、初めて大連の軍港で空母「遼寧」を視察した。「遼寧」の劉艦長が語る。
「中国が他国に蹂躙されたのは、海軍が遅れていたからだった。それで習近平主席は、強大な海軍建設を目指しているのだ」
2016年3月23日、習近平主席は国防大学で「世界一流の軍隊になれ!」と檄を飛ばした。
2017年の春節前の1月22日、中央軍民融合発展委員会の設立が決定した。軍と民を一体化していくのだ。
習近平主席は、2014年3月15日、中央軍事委員会において、国防と軍隊改革をを深化させる指導小グループ第1回全体会議を開き、自らグループ長に就任した。2015年12月31日には、陸軍指導機構、ロケット軍、戦略支援部隊の成立を宣言した。習近平主席は、こう述べた。
「中央軍事委員会は、中国の夢、強軍の夢を実現するため、重大な決定に着手した」
中国軍90年の夢は、すなわち強軍の夢である。広東省の第42集団軍に所属していた王鋭車長は、視察に訪れた習近平主席と握手した時の熱い思いを語る。
「習主席の手は暖かかった。その時私は、習主席のよき戦士になろうと決意した」
2012年12月8日午前、習近平新総書記、新中央軍事委員会主席は、初の視察として、深圳の蛇口港に停泊したミサイル駆逐艦「海口」の甲板上にいた。
その二日後、習近平主席は、当時の第42集団軍の演兵場の、砲火轟鳴の中にいた。その場で習近平主席は「強国の夢」を説いた。「中国の夢」を説いてから、わずか10日後のことだった。
「中華民族の偉大なる復興という中国の夢は、強国の夢である。軍隊で言うなら、強軍の夢だ!」
約170年前、アヘン戦争によって、中国は西欧列強に痛めつけられ、そこから苦難の道を歩んだ。1860年の第2次アヘン戦争では、1.8万のイギリス軍と7000人のフランス軍が、皇帝の園庭である北京の円明園を灰塵にした。
2012年11月15日、初めて中央軍事委員会を招集した習近平主席は、「必ず国家主権を守っていく」と宣言した。
「強国のためには強軍が必須である。強軍によって初めて国は安まる。強国強軍は、中華民族の百年の夢想なのだ!」
2013年3月11日、全国自民代表大会(国会)の人民解放軍分科会で、習近平主席は説いた。
「中国共産党の指揮に従い、戦争ができて戦争に勝てる、態度の良好な人民軍隊を建設することは、共産党の新たな形勢の強軍目標に合致したものである」
2013年4月9日、習近平主席は海南島・三亜部隊を視察し、「強軍戦歌」を聞いた。兵士たちは高らかに歌う。
「将軍たちは党の指揮に従う。戦争ができて戦争に勝てる。対度良好、強敵を恐れず、敢然と、祖国の決戦勝利を目指して戦う♪」
1648年にウェストファリア条約(ヴェストファーレン条約)が締結され、近代ヨーロッパが誕生した。それは、その後のヨーロッパ中心の世界の構築を意味した。
だが400年近く経って、世界は大きく変化した。新興国家が台頭し、世界の中心はヨーロッパからアジアに移った。習近平主席は語る。
「われわれが壮大な発展を遂げると、それだけ大きな抵抗や圧力に遭う。外部との多くのリスクに直面することは、わが国が大国から強国へと発展を遂げる中で、回避できないチャレンジなのだ。それは、中華民族の偉大なる復興を実現するため、避けて通れない関所のようなものだ」
かつて南宋は、当時の世界経済の75%以上を、一国で担っていた。中国は再び、復興していくのだ。習近平主席は、「経済と国防の実力アップは、同時に進めていくものだ」と述べている。
中国は、この30年近く戦争をしていない。2014年8月29日、党中央政治局の集団学習会で、国防大学の肖天亮副学長が、世界の主要国家の軍の状況を説明した。
2015年5月26日、中国は初めて「中国の軍事戦略」白書を発布した。そこで「海軍重視」を謳っていたことが、世界の注目を浴びた。
2013年8月26日、習近平主席が、3回目の海軍視察で、初めて大連の軍港で空母「遼寧」を視察した。「遼寧」の劉艦長が語る。
「中国が他国に蹂躙されたのは、海軍が遅れていたからだった。それで習近平主席は、強大な海軍建設を目指しているのだ」
2016年3月23日、習近平主席は国防大学で「世界一流の軍隊になれ!」と檄を飛ばした。
2017年の春節前の1月22日、中央軍民融合発展委員会の設立が決定した。軍と民を一体化していくのだ。
習近平主席は、2014年3月15日、中央軍事委員会において、国防と軍隊改革をを深化させる指導小グループ第1回全体会議を開き、自らグループ長に就任した。2015年12月31日には、陸軍指導機構、ロケット軍、戦略支援部隊の成立を宣言した。習近平主席は、こう述べた。
「中央軍事委員会は、中国の夢、強軍の夢を実現するため、重大な決定に着手した」
中国軍90年の夢は、すなわち強軍の夢である。広東省の第42集団軍に所属していた王鋭車長は、視察に訪れた習近平主席と握手した時の熱い思いを語る。
「習主席の手は暖かかった。その時私は、習主席のよき戦士になろうと決意した」
「新たな世代の革命軍人であれ」
【第2話 魂を鋳る】
1929年12月28日、29日、毛沢東は福建省古田で第9回党会議を開き、政治的な建軍を決めた。この人民軍が形成された古田を、習近平主席は2度も訪れた。当時と同じ赤飯、カボチャスープ、観音菜(ニラに似た野菜)、タケノコ炒めを、皆で食した。
2014年10月30日、習近平主席は、85年ぶりに古田で全軍政治工作会議を開いて、古田会議を換骨奪胎させた。
「党の指揮に完全に従うことは、わが建軍の魂であり、強軍の魂である。この一点によって、すべての敵がわれわれを最も恐れることになるだろう。中華民族の偉大なる復興という中国の夢の実現、党の新たな形勢下での強軍目標の実現は、堅強な政治的保証によって提供されるのだ」
習近平主席は、軍の党に対する絶対忠誠、絶対純潔、絶対信頼という「三つの絶対」を強調したのだった。
1991年冬、初の社会主義国家であったソ連が崩壊した。その主な原因は、ソ連共産党のソ連軍に対する支配体制が崩壊したからだった。
2014年12月30日、習近平主席は、「新形勢下の軍隊政治活動に関する若干の問題の決定」を起草した。
習近平主席はまた、2016年元旦に、第13軍を視察した際、「半截皮帯」(半分になったベルト)の故事を強調した。1936年7月、四川省の奥地で抗日戦争に向かおうとした紅軍の中に、あまりの空腹でベルトを食べながら進軍している14歳の少年兵がいたことが毛沢東に報告されたというものだ。
「共産党が国民党に勝ったのは、この崇高な理想と信念ゆえだったのだ。魂、能力、血脈、品徳を兼ね備えた新たな世代の革命軍人であれ」と、習近平主席は述べた。
2016年10月の6中全会(第6回全体会議)で、習近平主席は、党と軍の「核心」となった。
1929年12月28日、29日、毛沢東は福建省古田で第9回党会議を開き、政治的な建軍を決めた。この人民軍が形成された古田を、習近平主席は2度も訪れた。当時と同じ赤飯、カボチャスープ、観音菜(ニラに似た野菜)、タケノコ炒めを、皆で食した。
2014年10月30日、習近平主席は、85年ぶりに古田で全軍政治工作会議を開いて、古田会議を換骨奪胎させた。
「党の指揮に完全に従うことは、わが建軍の魂であり、強軍の魂である。この一点によって、すべての敵がわれわれを最も恐れることになるだろう。中華民族の偉大なる復興という中国の夢の実現、党の新たな形勢下での強軍目標の実現は、堅強な政治的保証によって提供されるのだ」
習近平主席は、軍の党に対する絶対忠誠、絶対純潔、絶対信頼という「三つの絶対」を強調したのだった。
1991年冬、初の社会主義国家であったソ連が崩壊した。その主な原因は、ソ連共産党のソ連軍に対する支配体制が崩壊したからだった。
2014年12月30日、習近平主席は、「新形勢下の軍隊政治活動に関する若干の問題の決定」を起草した。
習近平主席はまた、2016年元旦に、第13軍を視察した際、「半截皮帯」(半分になったベルト)の故事を強調した。1936年7月、四川省の奥地で抗日戦争に向かおうとした紅軍の中に、あまりの空腹でベルトを食べながら進軍している14歳の少年兵がいたことが毛沢東に報告されたというものだ。
「共産党が国民党に勝ったのは、この崇高な理想と信念ゆえだったのだ。魂、能力、血脈、品徳を兼ね備えた新たな世代の革命軍人であれ」と、習近平主席は述べた。
2016年10月の6中全会(第6回全体会議)で、習近平主席は、党と軍の「核心」となった。
習近平「空母の夢」の始まり
【第3話 勝利を制する】
北京の西山八大処は、1900年に八ヵ国軍によって破壊された。いまそこには、旧北京軍区、現在の中部戦区が本拠地を構えている。
そこから約600㎞離れた内蒙古自治区の「朱日和」は、人民解放軍最大規模の演習場となっている。1960年に視察に来たイギリスの著名な二人の将軍は、わが軍の実力に感嘆し、「今後世界は中国と戦ってはならない」と述べた。
それから半世紀余りを経て、2014年3月に、中央軍事委員会が、「軍事訓練の実践化レベルを引き上げるための意見」を発布した。
この年、朱日和で、紅軍(解放軍)と藍軍(敵軍)に分けて軍事演習「跨越2014」を行ったところ、藍軍が6対1で勝利してしまった。この結果は全軍に衝撃を与えた。次に、紅軍と藍軍を入れ替えて演習を行ったら、やはり藍軍が勝利した。こうした結果は、藍軍は常に実戦を想定した訓練を行っていたからだった。
いつでも実戦を想定しておくことが大事である。2014年秋、14の航空兵団が、成都から西北地方に向けて、初めて自由空戦演習を行った。
同年7月31日、国防部の月末定例記者会見に、初めて海外メディアの記者も入れた。「十八大」(第18回共産党大会)から5年近くで、約600人の幹部が、訓練に関係して処分された。
2013年8月28日、習近平主席が空母「遼寧」を視察した。「空母の夢」の始まりである。
2015年9月3日には、中国人民抗日戦争勝利70周年大閲兵を挙行した。常丁求南部戦区副司令員(空軍)は、その意義を強調する。
2014年の春節前には、「372潜水艇」が訓練中に、海底の岩石に衝突し、海水が流入した。隊員たちの命を救うのに、3分しか時間はなかったが、見事に海水を食い止めた。これこそ日頃の訓練のたまものである。
2015年には、バシー海峡で初めて空軍の訓練を行った。習近平主席は、「軍人の必須事項は、第一に苦難を恐れず、第二に戦死を恐れないことだ」と述べている。
2016年4月27日、優秀な戦闘機パイロットだった張超飛行員が、戦闘機の故障が原因で、訓練中に死亡した。この事実を知った習近平主席は、直ちに張飛行員を「烈士」として祀り、全軍でその死を哀悼した。
2017年元旦、空母「遼寧」は、初めて黄海、東シナ海、南シナ海に出た。習近平主席は、次のように述べている。
「人民解放軍には、2種類の状態しかない。それは戦争中と、戦争準備中だ」
習近平主席は、今年8月1日の建軍90周年の時にも、こう述べた。
「われわれは絶対に許さない。いかなる組織、いかなる政党が、いかなる時、いかなる形式で、ただ一片の中国の領土を分裂させることもだ。何人たりとも、わが国の主権、安全、発展の利益の苦肉を損害しようと思うべきではない!」
北京の西山八大処は、1900年に八ヵ国軍によって破壊された。いまそこには、旧北京軍区、現在の中部戦区が本拠地を構えている。
そこから約600㎞離れた内蒙古自治区の「朱日和」は、人民解放軍最大規模の演習場となっている。1960年に視察に来たイギリスの著名な二人の将軍は、わが軍の実力に感嘆し、「今後世界は中国と戦ってはならない」と述べた。
それから半世紀余りを経て、2014年3月に、中央軍事委員会が、「軍事訓練の実践化レベルを引き上げるための意見」を発布した。
この年、朱日和で、紅軍(解放軍)と藍軍(敵軍)に分けて軍事演習「跨越2014」を行ったところ、藍軍が6対1で勝利してしまった。この結果は全軍に衝撃を与えた。次に、紅軍と藍軍を入れ替えて演習を行ったら、やはり藍軍が勝利した。こうした結果は、藍軍は常に実戦を想定した訓練を行っていたからだった。
いつでも実戦を想定しておくことが大事である。2014年秋、14の航空兵団が、成都から西北地方に向けて、初めて自由空戦演習を行った。
同年7月31日、国防部の月末定例記者会見に、初めて海外メディアの記者も入れた。「十八大」(第18回共産党大会)から5年近くで、約600人の幹部が、訓練に関係して処分された。
2013年8月28日、習近平主席が空母「遼寧」を視察した。「空母の夢」の始まりである。
2015年9月3日には、中国人民抗日戦争勝利70周年大閲兵を挙行した。常丁求南部戦区副司令員(空軍)は、その意義を強調する。
2014年の春節前には、「372潜水艇」が訓練中に、海底の岩石に衝突し、海水が流入した。隊員たちの命を救うのに、3分しか時間はなかったが、見事に海水を食い止めた。これこそ日頃の訓練のたまものである。
2015年には、バシー海峡で初めて空軍の訓練を行った。習近平主席は、「軍人の必須事項は、第一に苦難を恐れず、第二に戦死を恐れないことだ」と述べている。
2016年4月27日、優秀な戦闘機パイロットだった張超飛行員が、戦闘機の故障が原因で、訓練中に死亡した。この事実を知った習近平主席は、直ちに張飛行員を「烈士」として祀り、全軍でその死を哀悼した。
2017年元旦、空母「遼寧」は、初めて黄海、東シナ海、南シナ海に出た。習近平主席は、次のように述べている。
「人民解放軍には、2種類の状態しかない。それは戦争中と、戦争準備中だ」
習近平主席は、今年8月1日の建軍90周年の時にも、こう述べた。
「われわれは絶対に許さない。いかなる組織、いかなる政党が、いかなる時、いかなる形式で、ただ一片の中国の領土を分裂させることもだ。何人たりとも、わが国の主権、安全、発展の利益の苦肉を損害しようと思うべきではない!」
「改革なくして戦争できず、戦勝できず」
【第4話 重ねて塑(つく)る】
建軍80周年前日の2017年7月30日、習近平主席は朱日和で閲兵を行った。
「同志たち、ようこそ!」
「主席、ようこそ!」
「同志たち、ご苦労!」
「人民のために服務します!」
その3年余り前、2014年3月15日、習近平主席は、中央軍事委員会の国防と軍隊改革を深化させる指導小グループを立ち上げ、第1回全体会議を開いた。世界最大規模の軍隊がどう変わるのかと、世界中が注視した。
習主席が初めて軍事改革に言及したのは、2012年11月15日に開いた第1回の党中央政治局常務委員会議の席だった。翌2013年11月には、北京で三中全会(第3回全体会議)を開き、改革を全面的に深化させる決定をした。
「改革なくして戦争できず、戦勝できずだ」
習主席は、こう述べている。
2015年10月、日清戦争の終結から120年を経て、清軍の主力艦の一つ「致遠艦」が、黄海の大東溝海沖で発見された。
山東省威海にある日清戦争博物館は、多くの教訓に満ちている。清軍の改革の不徹底、旧態依然とした考え、旧式の武器などなどで、日本との戦争前から勝敗は決していた。
習近平主席は、故宮の南楼で軍人としてのキャリアを開始した。それから30数年後、中央軍事委員会の国防と軍隊改革を深化させる指導小グループは、2014年3月から10月までの間に、690以上の軍事拠点に赴き、860回以上の座談会などを開き、2万件以上の意見などを集めた。
2015年7月14日、習近平主席は、中央軍事委員会の国防と軍隊改革を深化させる指導小グループの第3回会議を開き、「国防と軍隊改革を深化させるための総合的方針建議」を提起した。続いて、7月22日に中央軍事委員会常務会議、7月29日に中央政治局常務委員会議を開き、これを検討した。
9月3日には、中国人民抗日戦争勝利70周年軍事パレードで、習近平主席が30万人の軍人を削減すると宣言した。これは習主席による平和宣言、改革宣言に他ならない。
同年10月16日、この方針は正式な決定となった。2020年までに主な改革を終えること、組織の上から下に向かって改革していくことなどを決めたのだった。
同年11月24日、北京の初雪の日、京西賓館で、中央軍事委員会の改革活動会議が開かれた。習近平主席は、「国防と軍隊改革を深化させる動員令」を出し、強軍の道、強軍の夢に向かって揺るぎない意志を示した。
同年12月31日、八一大楼で、陸軍指導機構、ロケット軍、戦略支援部隊の設立大会が開かれた。
2016年に入ると、1月11日に、習近平主席は、人民解放軍の各部門の幹部たちと面会した。2月1日には、戦区成立大会を開き、「東西南北中」の5大戦区を確定させた。
新たな人民解放軍は、軍事委員会主席による指導のもと、軍委管総(軍事委員会によるすべての管理)、戦区主戦(戦区が主に戦う)、軍種主建(各種の軍事機構が主に政策を立案する)を特長とする。
「改革とはすなわち戦争なのだ」(習主席)
こうした改革に伴って、肩章を変えた。四総部制から15の軍事機関制度に変えた。正帥級の幹部を、従来の3分の1である200人余りに減らした。
習近平主席は、2016年4月20日、軍事委員会聯合作戦指揮センターを、初めて視察した。以前は陸軍が全予算の過半数を占めていたが、それも変えた。
2013年11月28日、習主席は、当時の済南軍区にあった部隊を視察し、陸軍改革を説いた。2016年9月13日には、中央軍事委員会の聯勤保障部隊成立大会を開いた。
こうした一連の改革によって、作戦指揮体系は、「中央軍事委員会-各戦区-各部隊」となり、指導管理体系は、「中央軍事委員会-各軍の種類-各部隊」となった。
かつて小平は、1980年代に100万人の軍人削減を行った際、批判に答えて言った。
「ダメなデブに戦争ができるのか?
2016年12月2日、3日、習主席は、中央軍事委員会の軍隊規模の構造と力量を編成する改革活動会議を開き、「中国の特色ある強軍の道を進む」と宣言した。
2017年4月27日、国防部の定例会見で、次のように発表された。
「陸軍の18個の集団軍の番号をなくし、新たに13個の集団軍の番号を作った」
同年4月18日、習近平主席は、全軍の新たに調整した組織の、84の軍組織の責任者と接見した。
「皆で集まって戦争ができるようにし、戦争に勝てるようにしろ。招集したらすぐに馳せ参じ、馳せ参じたら戦争を行うことができ、戦争を行えば必ず勝てるようにしろ!」
「一北一南」と言われた軍の教育機関も、今年7月19日に一新した。新たな組織に生まれ変わった軍事科学院、国防大学、国防科学技術大学の設立大会を開いたのだ。軍の教育機関は、77ヵ所から43ヵ所に減った。
同年7月28日には、軍の栄光栄誉を「八一勲章」に変えた。2016年元旦に第13軍を視察した習主席は、「身体だけ21世紀にいて、頭は前世紀のままでいてはならない」と訓示した。
かつて英雄部隊だった第27軍に属していた呉鵬程隊員は、陸軍のリストラに遭ったが、「国家と軍のために私が栄誉の犠牲になる」と胸を張った。
* * *
以上である。全編にわたって、中国の軍、共産党の軍というより、「習近平主席の軍」に変わりつつある人民解放軍の姿を描いているように、私の目には映った。
ともあれ、日本はいま、眼前の総選挙と、北朝鮮の動向の二つばかりに注視しているが、その間に、巨大な隣国が軍事大国化、軍事強国化していることも知っておきべきである。
建軍80周年前日の2017年7月30日、習近平主席は朱日和で閲兵を行った。
「同志たち、ようこそ!」
「主席、ようこそ!」
「同志たち、ご苦労!」
「人民のために服務します!」
その3年余り前、2014年3月15日、習近平主席は、中央軍事委員会の国防と軍隊改革を深化させる指導小グループを立ち上げ、第1回全体会議を開いた。世界最大規模の軍隊がどう変わるのかと、世界中が注視した。
習主席が初めて軍事改革に言及したのは、2012年11月15日に開いた第1回の党中央政治局常務委員会議の席だった。翌2013年11月には、北京で三中全会(第3回全体会議)を開き、改革を全面的に深化させる決定をした。
「改革なくして戦争できず、戦勝できずだ」
習主席は、こう述べている。
2015年10月、日清戦争の終結から120年を経て、清軍の主力艦の一つ「致遠艦」が、黄海の大東溝海沖で発見された。
山東省威海にある日清戦争博物館は、多くの教訓に満ちている。清軍の改革の不徹底、旧態依然とした考え、旧式の武器などなどで、日本との戦争前から勝敗は決していた。
習近平主席は、故宮の南楼で軍人としてのキャリアを開始した。それから30数年後、中央軍事委員会の国防と軍隊改革を深化させる指導小グループは、2014年3月から10月までの間に、690以上の軍事拠点に赴き、860回以上の座談会などを開き、2万件以上の意見などを集めた。
2015年7月14日、習近平主席は、中央軍事委員会の国防と軍隊改革を深化させる指導小グループの第3回会議を開き、「国防と軍隊改革を深化させるための総合的方針建議」を提起した。続いて、7月22日に中央軍事委員会常務会議、7月29日に中央政治局常務委員会議を開き、これを検討した。
9月3日には、中国人民抗日戦争勝利70周年軍事パレードで、習近平主席が30万人の軍人を削減すると宣言した。これは習主席による平和宣言、改革宣言に他ならない。
同年10月16日、この方針は正式な決定となった。2020年までに主な改革を終えること、組織の上から下に向かって改革していくことなどを決めたのだった。
同年11月24日、北京の初雪の日、京西賓館で、中央軍事委員会の改革活動会議が開かれた。習近平主席は、「国防と軍隊改革を深化させる動員令」を出し、強軍の道、強軍の夢に向かって揺るぎない意志を示した。
同年12月31日、八一大楼で、陸軍指導機構、ロケット軍、戦略支援部隊の設立大会が開かれた。
2016年に入ると、1月11日に、習近平主席は、人民解放軍の各部門の幹部たちと面会した。2月1日には、戦区成立大会を開き、「東西南北中」の5大戦区を確定させた。
新たな人民解放軍は、軍事委員会主席による指導のもと、軍委管総(軍事委員会によるすべての管理)、戦区主戦(戦区が主に戦う)、軍種主建(各種の軍事機構が主に政策を立案する)を特長とする。
「改革とはすなわち戦争なのだ」(習主席)
こうした改革に伴って、肩章を変えた。四総部制から15の軍事機関制度に変えた。正帥級の幹部を、従来の3分の1である200人余りに減らした。
習近平主席は、2016年4月20日、軍事委員会聯合作戦指揮センターを、初めて視察した。以前は陸軍が全予算の過半数を占めていたが、それも変えた。
2013年11月28日、習主席は、当時の済南軍区にあった部隊を視察し、陸軍改革を説いた。2016年9月13日には、中央軍事委員会の聯勤保障部隊成立大会を開いた。
こうした一連の改革によって、作戦指揮体系は、「中央軍事委員会-各戦区-各部隊」となり、指導管理体系は、「中央軍事委員会-各軍の種類-各部隊」となった。
かつて小平は、1980年代に100万人の軍人削減を行った際、批判に答えて言った。
「ダメなデブに戦争ができるのか?
2016年12月2日、3日、習主席は、中央軍事委員会の軍隊規模の構造と力量を編成する改革活動会議を開き、「中国の特色ある強軍の道を進む」と宣言した。
2017年4月27日、国防部の定例会見で、次のように発表された。
「陸軍の18個の集団軍の番号をなくし、新たに13個の集団軍の番号を作った」
同年4月18日、習近平主席は、全軍の新たに調整した組織の、84の軍組織の責任者と接見した。
「皆で集まって戦争ができるようにし、戦争に勝てるようにしろ。招集したらすぐに馳せ参じ、馳せ参じたら戦争を行うことができ、戦争を行えば必ず勝てるようにしろ!」
「一北一南」と言われた軍の教育機関も、今年7月19日に一新した。新たな組織に生まれ変わった軍事科学院、国防大学、国防科学技術大学の設立大会を開いたのだ。軍の教育機関は、77ヵ所から43ヵ所に減った。
同年7月28日には、軍の栄光栄誉を「八一勲章」に変えた。2016年元旦に第13軍を視察した習主席は、「身体だけ21世紀にいて、頭は前世紀のままでいてはならない」と訓示した。
かつて英雄部隊だった第27軍に属していた呉鵬程隊員は、陸軍のリストラに遭ったが、「国家と軍のために私が栄誉の犠牲になる」と胸を張った。
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以上である。全編にわたって、中国の軍、共産党の軍というより、「習近平主席の軍」に変わりつつある人民解放軍の姿を描いているように、私の目には映った。
ともあれ、日本はいま、眼前の総選挙と、北朝鮮の動向の二つばかりに注視しているが、その間に、巨大な隣国が軍事大国化、軍事強国化していることも知っておきべきである。
近藤 大介