複雑な気持ちになりますね。この記事、オームの毒ガス製造の方法を知るための元になった
論文の著者の米国の毒ガス専門家が、逆に弟子にあたる中川死刑囚からいろいろ学んでいる
と言うのです。
まあ当然といえば当然ですが公には人体実験は出来ませんから単なる知識だけの学者さん
よりも実際に大勢の殺人に関わってしまった死刑囚の方が毒ガスに関しては造詣が深いと
いう皮肉です。
ということは、学者さんは単なる興味の領域でしか知らない毒ガスの危険性には全くの素人
ということになり、その筋では大先輩の中川死刑囚に学ぶ必要があるという事なのです。
本当に複雑なうえやりきれない気持ちになるネットニュースですね。
<オウム中川死刑囚>「毒性学の権威」と面会重ね…背景は?
毎日新聞 4/18(火) 13:58配信

米国の化学者、アンソニー・トゥー(台湾名・杜祖健)コロラド州立大名誉教授(86)がオウム真理教元幹部の中川智正死刑囚(54)と東京拘置所で5年以上にわたって、面会を重ねている。「毒性学の権威」と「テロリストとなった元医師」。住む地も年齢も離れた奇妙な組み合わせである。彼らを結びつけるものは何か。偶然の出会いを追った。【岸達也/統合デジタル取材センター】
【写真】旧上九一色村のオウムの工場・製造施設を調べる捜査員
◇台湾生まれヘビ毒の研究の権威
「(猛毒の神経剤)VXの症状と考えて矛盾はありません--」。今年2月下旬、日本のある弁護士を介し1通の手紙がトゥー氏の元に届いた。差出人は中川死刑囚。マレーシア・クアラルンプールの国際空港で発生した金正男(キム・ジョンナム)氏殺害事件について、正男氏の症状や自身がVXを取り扱った時の経験なども分析し、「暗殺」でVXが使用されたことを示唆する内容だった。
マレーシアの警察当局が、暗殺にVXが使われたことを発表する前に記されていた。なぜ手紙を送ったのか--。中川死刑囚の真意は不明だ。しかし、トゥー氏はこう推測する。「VXは私とオウム教団を結びつける特別な神経剤。経緯を知っているからこそ、知らせようと思ったのかも」。4月に入って再び手紙が届いたという。
トゥー氏は台湾出身。台湾大理学部で化学を学んだ後、1950年代に渡米し、スタンフォード大などで研究を続けた。専門はヘビ毒だ。
日本統治下で育ったことから、中国語と英語に加えて日本語も流ちょうだ。長年ロッキー山脈に囲まれたコロラド州立大に研究室を構えてきたが、今春、温暖なカリフォルニア州へ転居し、隠居の身となった。温厚な性格はまさに好々爺(こうこうや)というのがぴったりだが、その研究歴はすさまじい。米陸・海軍から資金提供を受けて研究を重ねた経験を持ち、猛毒サリンやVXなどの化学兵器に精通する「毒性学の権威」として知られる。
◇これまでに10回重ねた面会
米国の政府系シンクタンクが00年代後半から、テロ研究の一環として、オウム教団が起こした一連のテロ事件の追跡調査を始めた。日本にも調査チームが派遣され、獄中にいる複数の教団幹部らへのインタビューが繰り返された。調査チームの責任者は元米海軍幹部で、中川死刑囚も対象者の1人だった。程なくして神経剤に精通し日本語も堪能なトゥー氏に、中川死刑囚の聞き取りをする役目が舞い込んだ。
初めて顔を合わせたのは11年12月14日、東京・小菅の東京拘置所。死刑判決が確定する直前の時期である。東日本大震災から9カ月が過ぎていたが、廊下を照らす蛍光灯は節電のために所々消され、拘置所内の印象を一層暗くしていた。遠路はるばる訪ねてきたのに、許された面会時間は約30分だけだった。
透明の板越しに対面した中川死刑囚はあいさつもそこそこに強烈な一言を、トゥー氏に向けて発した。
「私たちは先生の論文や本を読んでいたので、先生のことはよく知っています。先生の論文を参考に、教団はVXを製造したのです」。トゥー氏は驚がくした。
◇獄中で化学に関心持つ死刑囚、面会はテロ対策のため
確定死刑囚との面会ルールは「刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律」で明文化してある。面会が許されるのは(1)親族(2)婚姻関係の調整や訴訟の遂行など死刑囚の身分や法律上面会が必要な者(3)面会で死刑囚の心情の安定に資する者--などに限定。面会の申し出に対して、拘置所長がその都度許可を出す。2人の面会が許可されているのは(3)に該当するとみられている。
これまで10回に及んだ面会は全て中川死刑囚側が望み、トゥー氏の来日のタイミングに合わせて調整されてきたという。
「面会時間も限られるため、教団内でどのような化学兵器がいつから、どれだけの量が作られたのか、英語で書いたチャート図を手紙に添付してきたこともあった。彼の記憶は鮮明です。理論的で細かいことにもこだわる性格なので、事実解明には役立った」とトゥー氏。私が中川死刑囚の印象を尋ねると「医師というより化学者という印象。化学の道を歩んでいれば、学者として大成したかもしれない……」と言葉を慎重に選んだ。
◇化学誌に掲載された中川死刑囚の手記
<当事者が初めて明かすサリン事件の一つの真相>--。日本の化学雑誌「現代化学」(東京化学同人刊)16年11月号にこんなタイトルが躍った。中川死刑囚が書いたとされる「手記」が掲載されたのだ。全6ページ。オウム教団が起こした事件の被害者らへの謝罪から始まり、サリンなどの化学兵器が製造、使用に至った経緯が記されていた。化学反応式なども盛り込まれており、ある程度専門知識を有した読者向けといえる。トゥー氏の勧めで、中川死刑囚本人が執筆したという。
90年代に入って、急速な武装化を果たしたオウム教団は、軍用ヘリを輸入したり銃火器や爆発物を製造したりした点も世間を驚かせたが、何より危険視されたのは、急速に推し進めた化学兵器や生物兵器の開発力だった。最終的に生物兵器は失敗したとみられているが、化学兵器はわずか数年の間に、神経剤だけでもサリン▽ソマン▽タブン▽シクロサリン▽VX--など、さまざまな種類の製造能力を得るに至った。
教団内で化学兵器の製造を主導した者で、存命なのは大学院で化学を専門に学んだ土谷正実死刑囚(52)と中川死刑囚の2人しかいない。トゥー氏は「ヘビ毒の研究者がいたから、今毒ヘビにかまれても血清がある。テロリストの話に耳を傾け、調べれば、必ずテロ対策につながる。同じことです」と自説を語る。
世界を震撼(しんかん)させたテロ事件をためらいなく敢行した教団の中枢にいた元幹部13人は既に死刑が確定している。
「日本は死刑制度を持つ国。教団のテロが引き起こした甚大な被害を合わせ考えるに、死刑制度の是非には触れるべきでないとも思う。ただ、死刑囚の命がある限り我々は事件から教訓をくみ取ることができる。その努力は続けるべきです」
こうした信念を胸に、老化学者は今月も面会を重ねる。
【写真】旧上九一色村のオウムの工場・製造施設を調べる捜査員
◇台湾生まれヘビ毒の研究の権威
「(猛毒の神経剤)VXの症状と考えて矛盾はありません--」。今年2月下旬、日本のある弁護士を介し1通の手紙がトゥー氏の元に届いた。差出人は中川死刑囚。マレーシア・クアラルンプールの国際空港で発生した金正男(キム・ジョンナム)氏殺害事件について、正男氏の症状や自身がVXを取り扱った時の経験なども分析し、「暗殺」でVXが使用されたことを示唆する内容だった。
マレーシアの警察当局が、暗殺にVXが使われたことを発表する前に記されていた。なぜ手紙を送ったのか--。中川死刑囚の真意は不明だ。しかし、トゥー氏はこう推測する。「VXは私とオウム教団を結びつける特別な神経剤。経緯を知っているからこそ、知らせようと思ったのかも」。4月に入って再び手紙が届いたという。
トゥー氏は台湾出身。台湾大理学部で化学を学んだ後、1950年代に渡米し、スタンフォード大などで研究を続けた。専門はヘビ毒だ。
日本統治下で育ったことから、中国語と英語に加えて日本語も流ちょうだ。長年ロッキー山脈に囲まれたコロラド州立大に研究室を構えてきたが、今春、温暖なカリフォルニア州へ転居し、隠居の身となった。温厚な性格はまさに好々爺(こうこうや)というのがぴったりだが、その研究歴はすさまじい。米陸・海軍から資金提供を受けて研究を重ねた経験を持ち、猛毒サリンやVXなどの化学兵器に精通する「毒性学の権威」として知られる。
◇これまでに10回重ねた面会
米国の政府系シンクタンクが00年代後半から、テロ研究の一環として、オウム教団が起こした一連のテロ事件の追跡調査を始めた。日本にも調査チームが派遣され、獄中にいる複数の教団幹部らへのインタビューが繰り返された。調査チームの責任者は元米海軍幹部で、中川死刑囚も対象者の1人だった。程なくして神経剤に精通し日本語も堪能なトゥー氏に、中川死刑囚の聞き取りをする役目が舞い込んだ。
初めて顔を合わせたのは11年12月14日、東京・小菅の東京拘置所。死刑判決が確定する直前の時期である。東日本大震災から9カ月が過ぎていたが、廊下を照らす蛍光灯は節電のために所々消され、拘置所内の印象を一層暗くしていた。遠路はるばる訪ねてきたのに、許された面会時間は約30分だけだった。
透明の板越しに対面した中川死刑囚はあいさつもそこそこに強烈な一言を、トゥー氏に向けて発した。
「私たちは先生の論文や本を読んでいたので、先生のことはよく知っています。先生の論文を参考に、教団はVXを製造したのです」。トゥー氏は驚がくした。
◇獄中で化学に関心持つ死刑囚、面会はテロ対策のため
確定死刑囚との面会ルールは「刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律」で明文化してある。面会が許されるのは(1)親族(2)婚姻関係の調整や訴訟の遂行など死刑囚の身分や法律上面会が必要な者(3)面会で死刑囚の心情の安定に資する者--などに限定。面会の申し出に対して、拘置所長がその都度許可を出す。2人の面会が許可されているのは(3)に該当するとみられている。
これまで10回に及んだ面会は全て中川死刑囚側が望み、トゥー氏の来日のタイミングに合わせて調整されてきたという。
「面会時間も限られるため、教団内でどのような化学兵器がいつから、どれだけの量が作られたのか、英語で書いたチャート図を手紙に添付してきたこともあった。彼の記憶は鮮明です。理論的で細かいことにもこだわる性格なので、事実解明には役立った」とトゥー氏。私が中川死刑囚の印象を尋ねると「医師というより化学者という印象。化学の道を歩んでいれば、学者として大成したかもしれない……」と言葉を慎重に選んだ。
◇化学誌に掲載された中川死刑囚の手記
<当事者が初めて明かすサリン事件の一つの真相>--。日本の化学雑誌「現代化学」(東京化学同人刊)16年11月号にこんなタイトルが躍った。中川死刑囚が書いたとされる「手記」が掲載されたのだ。全6ページ。オウム教団が起こした事件の被害者らへの謝罪から始まり、サリンなどの化学兵器が製造、使用に至った経緯が記されていた。化学反応式なども盛り込まれており、ある程度専門知識を有した読者向けといえる。トゥー氏の勧めで、中川死刑囚本人が執筆したという。
90年代に入って、急速な武装化を果たしたオウム教団は、軍用ヘリを輸入したり銃火器や爆発物を製造したりした点も世間を驚かせたが、何より危険視されたのは、急速に推し進めた化学兵器や生物兵器の開発力だった。最終的に生物兵器は失敗したとみられているが、化学兵器はわずか数年の間に、神経剤だけでもサリン▽ソマン▽タブン▽シクロサリン▽VX--など、さまざまな種類の製造能力を得るに至った。
教団内で化学兵器の製造を主導した者で、存命なのは大学院で化学を専門に学んだ土谷正実死刑囚(52)と中川死刑囚の2人しかいない。トゥー氏は「ヘビ毒の研究者がいたから、今毒ヘビにかまれても血清がある。テロリストの話に耳を傾け、調べれば、必ずテロ対策につながる。同じことです」と自説を語る。
世界を震撼(しんかん)させたテロ事件をためらいなく敢行した教団の中枢にいた元幹部13人は既に死刑が確定している。
「日本は死刑制度を持つ国。教団のテロが引き起こした甚大な被害を合わせ考えるに、死刑制度の是非には触れるべきでないとも思う。ただ、死刑囚の命がある限り我々は事件から教訓をくみ取ることができる。その努力は続けるべきです」
こうした信念を胸に、老化学者は今月も面会を重ねる。
最終更新:4/18(火) 17:47