懐かしいですね生命の樹、万国博の折り2度ほど内部を見学しました。閉幕後も幾度かその内部には
入りましたがいよいよ本格的公開を目指して改修が始まるようです。 公開の再開は3年後の1018年
3月の予定です。
え! どうして閉幕後に太陽の塔の内部にはいれたのか? ですか。いえね、実は万国博開幕の
前年の1969年4月に会場を管内に持つ千里電報電話局に配属され、開催期間中は世界初の商用
デジタル回線PCM24方式の保守を担当し閉幕後はパビリオンの解体作業や972年の日本庭園や
エキスポランドの開園や自然文化園の一期、二期の開園を見届けて退職しました。
太陽の塔内部も幾度も入りましたのでとっても懐かしい所で私の青春そのものです。
2018年の再公開がたのしみです。
<太陽の塔>これで見納め…内部を市民に公開 改修工事前に
1970年の大阪万博のシンボルとなった故・岡本太郎氏作の「太陽の塔」(大阪府吹田市)の内部が29日、公募に応じた市民らに公開された。内部は原則非公開だが、月末に改修工事が始まるのを前に府が企画した。工事終了後、2018年3月から常時公開が始まる予定。
【これで見納め】鮮やかな空間、太陽の塔の内部
定員500人に対し、予想を超える約4万件(約8万人分)の応募があった。当初は29日の1日限りの公開予定だったが、急きょ30日も加え、定員も1300人に増やした。工事に合わせ、内部にあるオブジェ「生命の樹」に取り付けていた模型なども復元し、当時の姿に近づける。府は29日から復元費用などに充てるため寄付金の募集も始めた。この日は公開前に募集開始のセレモニーもあった。
約40年前、案内役をしていたという主婦の加藤克枝さん(70)=大阪市東住吉区=は「当時と同じ音楽が流れていた。デザインが強烈で理解できていなかったけど、岡本太郎は自分たちよりもずっと先を見ていたんだなと、今では分かります」と話した。大阪市北区の小学4年生の佐竹虹軌(こうき)君(10)は「上の方に巨大な恐竜が見えてどきどきした。写真を撮ったので、友達に自慢したい」と喜んでいた。【千脇康平、武内彩】
【これで見納め】鮮やかな空間、太陽の塔の内部
定員500人に対し、予想を超える約4万件(約8万人分)の応募があった。当初は29日の1日限りの公開予定だったが、急きょ30日も加え、定員も1300人に増やした。工事に合わせ、内部にあるオブジェ「生命の樹」に取り付けていた模型なども復元し、当時の姿に近づける。府は29日から復元費用などに充てるため寄付金の募集も始めた。この日は公開前に募集開始のセレモニーもあった。
約40年前、案内役をしていたという主婦の加藤克枝さん(70)=大阪市東住吉区=は「当時と同じ音楽が流れていた。デザインが強烈で理解できていなかったけど、岡本太郎は自分たちよりもずっと先を見ていたんだなと、今では分かります」と話した。大阪市北区の小学4年生の佐竹虹軌(こうき)君(10)は「上の方に巨大な恐竜が見えてどきどきした。写真を撮ったので、友達に自慢したい」と喜んでいた。【千脇康平、武内彩】