[東京 3日] - ここ数カ月、筆者が強調しているのは、経済が完全雇用に近づいているため、極端に景気刺激的になっているマクロ安定化政策を早く方向転換せよ、という点である。 日本経済の成長ペースが鈍ってきたのは、消費増税の影響もあるが、それだけではない。経済のスラック(弛み)が解消された現在、ゼロ近傍まで低下した潜在成長率を大きく超える成長の継続自体が難しくなっている。総需要や総需要刺激策の不足ではなく、経済の実力である潜在成長率が低いことが低成長の主因である。 現に、実質ベースで超円安となり、海外経済が回復局面にあるにもかかわらず、実質輸出は全く増えていない。円安は輸入物価上昇をもたらし、家計の実質購買力を抑制し、個人消費の足を引っ張るだけとなっている。マネタリーベースの目標達成のため、 日銀がマイナスの実効金利で短期国債を買わざるを得なくなっていることも、さらなる円安を助長しており、量的・質的金融緩和(QQE)の弊害は日増しに大きくなっている。 そもそも金融機関にマイナスの実効金利という補助金を供与しなければ、マネタリーベース目標達成が困難になっているのは、QQEは実行可能性の観点からも限界に近いということだ。メリットがほぼなくなり、政策遂行コストや弊害が著しく高まっていることを考えると、直ちにテーパリング(段階的縮小)を検討すべきだ。 追加財政についても、建設労働者不足や資材価格高騰によって公共投資の執行が困難になっているだけでなく、民間の建設投資の足を引っ張っている。むしろ不要不急の公共投資を停止することで、政府が囲い込む建設労働者と資材を解放すれば、民間投資を促すことができる。短期的にはプラスマイナスゼロに見えるが、民間の資本蓄積を促すという点で、長期的には成長率の向上につながる可能性が高い。 このように書くと、デフレ脱却には景気を過熱させることが不可欠なのであって、行き過ぎに見える総需要政策こそが必要なのだ、という反論もあるだろう。もしデフレからの完全脱却の一点に的を絞るのなら、それは妥当と言えるかもしれない。 しかし、そうした政策は、財政面で危険な賭けであるばかりでなく、資源配分や所得分配の歪みを大きくし、アベノミクスのもう一つの目的である潜在成長率の回復を遅らせるどころか、悪化させる。その結果、公的債務の問題が表面化せずとも、アベノミクスの帰結はインフレ率上昇と潜在成長率低下、つまりスタグフレーションということになる。 極端な総需要刺激策の弊害をもう少し細かく見ていこう。まず、景気対策として行われてきた追加財政が資源配分を大きく歪めてきたことは言をまたないだろう。 本来、社会インフラ整備は、生産性向上や利便性向上のために行われるべきだが、費用・便益の十分な比較考量なく、一時的な景気かさ上げのために繰り返されてきた。公共投資と言いつつ、実態は限りなく政府消費に近いものが少なくなかった。不況で困窮している人がいるのなら、その救済のために財政資金を使うべきであって、特定の地域・産業に財政資金を供与する正当な理由はない。 また、公共投資などの追加財政によって便益を受けた地域・産業が、財政資金を手にしたために、むしろ改革が遅れ、自らの足で立つことが長期的に困難になっているという点も問題だ。それらの産業では、成長のためではなく、財政資金獲得のために経営資源が投入されるようになった。これが、政府のサポートが大きい産業の生産性上昇率が低い原因である。 加えて、政府のサポートによって退出を免れた衰退産業が人的資源などの経済資源を囲い込むことは、他分野における新たな成長企業の出現の芽を摘むことになった。財政資金が費消される間は、一時的に成長率は高まるが、潜在成長率はむしろ押し下げられた可能性が高い。 本来、労働力の減少がもたらす潜在成長率の低下をある程度補うべく、技術革新が促され、資本蓄積が進む。それが市場経済の本来の姿である。しかし、資本蓄積や技術革新の潜在成長率に対する寄与度は低下傾向を続けた。1990年代の不良債権問題の悪影響だけでなく、極端なマクロ経済政策が長期化したことが原因だというのが筆者の仮説である。 <過度な金融緩和も成長分野の出現を阻害> 金融政策も潜在成長率の回復を阻害している。まず、日銀のゼロ金利政策と国債購入政策が長期化・固定化されたことで、民間金融機関の国債購入が助長され、成長分野への資金供給が阻害されてきた。静学的モデルで考えれば、総需要が低迷していたから、民間の資金需要が乏しく、市場金利が落ち着いていた、という一面的な解釈で終わるだろう。しかし、現実にはどうであろう。 日銀はゼロ金利で資金を供給すると同時に、国債価格を長期間サポートしてきた。これでは、民間金融機関には自ら成長分野を掘り起こし、リスクをとって貸出を増やすインセンティブは働かない。日銀が買い支える国債を購入するほうが利幅は薄くてもリスクは遥かに小さく、有利な投資機会となる。 金融機関の本来の役割は、家計部門の貯蓄を成長分野の設備投資資金として仲介することである。成長企業は自生的に出現するのではなく、銀行マンが企業家をサポートすることで、日の目を見る。それがイノベーションのメカニズムだ。しかし、資金は成長分野ではなく国債に流れるので、成長分野の出現が阻害され、潜在成長率は低迷が続く。それゆえ資金需要が一向に回復しない。そうした点で、金融抑圧とはいかないまでも、かなり早い段階から金融抑制が始まっていたと言える。 さらに、ゼロ金利政策や国債大量購入政策の長期化が財政膨張を助長している点も無視できない。本来、追加財政が決定されると、長期金利が上昇し、それが政治的な財政膨張圧力への歯止めとなる。しかし、 日銀が大量の国債購入を行っている結果、金利上昇圧力は全て吸収され、金融市場が持つ、将来の経済の姿を先読みするフォワードルッキングな能力や、財政膨張への警告を発する能力は封殺されている。経済が完全雇用に近づき、一方で公的債務残高が未曾有の水準まで膨らんでいるのに、追加財政論議が絶えないのは、そのためである。 非金融部門においては、過度に緩和的な金融緩和の長期化が新陳代謝を滞らせ、これも潜在成長率を低下させた可能性がある。極端に低い金利が続くことで衰退産業が生き残り、それらが人的資本などを囲い込む結果、新たな成長分野の出現が阻害されたのである。また、衰退産業がいつまでも生き残ったことは、根強いデフレ圧力の原因ともなった。 <超円安が摘み取った変革の可能性> 景気や財政への配慮以上にゼロ金利政策が日本で長期化・固定化されてきた大きな理由は、円高回避にある。日本では極めて円高アレルギーが強い。確かに1990年代初頭のバブル崩壊後、均衡レートを大幅に上回る実質円高が進み、デフレの主因になったことは事実である。しかし、2000年代半ばに均衡レートを大幅に下回る実質円安が進んだことが、資源配分を大きく歪め、潜在成長率を低下させた。当時、欧米の信用バブルと超円安で輸出ブームが発生し、電機セクターを中心に投資ブームが起こったが、後知恵で見ると輸出バブルであり、過剰ストックを積み上げただけだった。 多くの人は、企業が海外へ生産拠点をシフトさせることを否定的に捉える。しかし、かねて論じてきた通り、輸出企業が海外に生産拠点をシフトしている最大の理由は、少子高齢化によって安価な若年労働力を安定的に確保できなくなっていることである。輸出で稼ぐ代わりに海外での生産を増やし、知的財産権からの収入が増えるなど、製造業の稼ぐ方法が変わってきているのだ。限られた労働力が、貿易可能財(主に製造業)から、非貿易可能財(主に非製造業)の生産にシフトしていることが底流にあるが、その動きに抗おうとマクロ安定化政策を弄すれば、資源配分に大きな歪みをもたらすだけである。 もし2000年代半ばに超円安という強烈なカンフル剤が打たれなければ、電機セクターは経営判断を誤ることなく、国内での生産工程の拡充の代わりに、収益性の高い新規ビジネスに打って出た可能性がある。革新性やデザイン性、コンテンツに自信があるのなら、生産工程を全て外部化し、ファブレス企業に進化することができたかもしれない。あくまでモノ作りにこだわるのなら、EMSやファウンドリーといった受託製造サービスに進化し、モノ作りで徹底的に勝負するという選択もあり得たはずである。しかし、2000年代半ばの超円安がそうした変革の可能性を摘み取ってしまった。 本来、景気回復が進めば、金融市場では市場金利が上昇し、そのことに反応して、為替市場では円高圧力が生まれる。しかし、景気回復の中断を恐れ、金利上昇と円高を回避するために、ゼロ金利政策や国債購入政策が継続されてきた。そのことによって、資源配分の大きな歪みが生じ、潜在成長率の回復を抑制してきたことは、これまで述べた通りである。しかし、問題はそれだけではない。所得分配面でも大きな歪みをもたらし、そのことが個人消費の回復を必要以上に阻害している。 1990年代以降の景気回復で、個人消費の回復の遅れは常に問題とされてきた。内需が脆弱であり、追加財政を永久に続けることができない以上、輸出主導の景気回復を目指すとなれば、個人消費の回復が企業部門に比べて遅れるのは、止むを得ない面も確かにあった。輸出回復を起点に、1)生産増によって企業業績の回復がもたらされ、設備投資が持ち直し、2)同時に生産増が雇用者所得の回復をもたらし、個人消費が持ち直す。このような所得・支出アプローチを前提にすると、雇用者所得の源泉が輸出増による生産回復にあるため、輸出回復を中断させないことが最優先され、金利上昇や円高の回避が選択されたのである。 しかし、景気回復が長期化した後も、そのような政策を続けてよかったのか。本来、景気拡大に伴い市場金利が上昇すれば、預金金利が上昇し、家計部門の利子所得が回復する。また、市場金利上昇に反応し、円高が進めば、そのことは家計部門の実質購買力の改善につながる。現実には、景気回復が続き、企業業績が相当に回復した後も、超低金利政策は継続され、家計の利子所得は抑制されたままだった。円安進展も家計の実質購買力を抑制し、個人消費の足かせとなった。 わずかな景気回復ならば、個人消費の回復の遅れを問題にすべきではないのだろうが、2000年代半ばは、輸出主導によって、戦後最長の景気拡大局面を達成し、企業業績も大幅に改善していた。そうした中で景気回復効果の家計への波及を遮断する政策を続けたのだから、消費回復の遅れは当然である。 現在、企業業績は改善が続き、マクロ経済は完全雇用に近づいてきたが、なお過度な金融緩和が続けられ、さらなる円安が容認されている。家計部門の利子所得の受け取りは、2012年度には7.9兆円まで低下した(ピークの1991年度は37.5兆円)。もちろん、業績改善を背景に配当も増えてはいるが、利子所得の減少を補うには程遠い。 また、円安によって輸入物価が上昇し、家計部門の実質購買力を抑制、それが今回も個人消費回復の足かせとなっている。市場メカニズムがもたらす金利上昇を通じる利子所得の回復や円高を通じる実質購買力の改善を阻害したままでは、いつまで経っても消費回復は進まない。前述した所得・支出アプローチに固執した政策運営を続けていては、均整の取れた成長は達成できない。 繰り返しになるが、成長率が低いのは、財政政策や金融政策が不足しているからではなく、それらを過度に追求した結果、潜在成長率が大きく損なわれているためである。特に極端な金融緩和を長期化・固定化させる副作用は、広く薄く経済を蝕むため、政策当局者を含め多くの人が見過ごしているのではないか、心配である。極端な金融緩和を前提にした経済主体が増えれば、収益性の低いビジネスばかりが増え、ますますゼロ成長から抜け出すことができなくなる。 |